2020年、このコロナ禍で副業は目減りした本業のアルバイト程度のモノに成り下がってしまった感があり、また社内副業という訳の分からない単語まで飛び出してきた。
副業ブームはすっかり終焉を迎えてしまったことは確かで、これからは副業(複業)できる人とできない人の格差も広がってくるのだろう。
初心に立ち返ると、本業あっての副業なので先ずは何より本業でプロになることが必要なのだ。
兼好法師の「徒然草」八十段目は副業に釘を指しているので、この年の瀬に振り返っておきたい。
人は成長しているようで、鎌倉時代末期の700年近く前と同じ所にいるようだ。
人間社会の発展を強制的に推し進めているのは時間であって、人間自身の成長ではないのかもしれない。
人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は、兵(つはもの)のみちを立て、夷は、弓ひく術知らず、仏法知りたる気色(きそく)し、連歌し、管絃を嗜み合へり。されど、おろかなる己れが道よりは、なほ、人に思ひ侮(あなづ)られぬべし。
この八十段目の冒頭を、現代語に訳してみる。
人は皆、自分の専門外のことばかりに関心がいく。僧侶が武術の道に励んだり、武士は弓の引き方も知らないのに、仏の心得がある様子を見せたり、連歌や音楽に打ち込んだりする。しかし、自分の専門分野をいい加減にして人に馬鹿にされる以上に、専門外のことに首を突っ込むことは、より一層、馬鹿にされるだろう。