企業文化みたいなものは濃淡こそあれ、どこの会社にも存在しているのだけれども、それはそこに在籍している人間がおおよそ作り出しているものだ。
「我が社はこうだから」と、偉そうに仰せの在籍年数だけが自慢のベテラン社員が早期退職に追い込まれていく様は、若いころの筆者は滑稽に拝見させてもらった。
いくら会社のカルチャーを醸成している人物であっても、給与に見合うだけの働きをしないと追い出されてしまうのは、当たり前だ。
筆者は個人的に、「我が社はこうです」と仰せの御仁には反抗する傾向にある。
人を一人どかしたから全てが劇的に変わるわけではないが、この御仁を横にどかせば、少なくとも眼に入れることができる範囲の職場を変えることができる。
そう考える場面が多々あるからだ。
企業の行動指針が明文化され、社員一人一人に浸透している状態は、それ自体は素晴らしいことなのだけれども、これもまた社員にとっては厄介になる場合がある。
大企業で『全ては顧客のため』と、その信条を長年刷り込まれてきた人材が、その後なんらかの事情で大企業より遥かにリソースの乏しい中小の組織に転職し、ご本人が機能しない場面もいくつか目撃してきた。
前社の大企業では出来たことが現職の中小では出来ないジレンマから、前社の信条がいかに素晴らしいものであったかを現社で吹聴しまくると、ただ前社大企業自慢をするだけの浮いた存在になってしまう。
現在置かれた環境では何の解決もできない人材として、疎まれてしまうだけだ。
筆者が在籍したことのある企業で最も強烈なのは、独特の企業カルチャーを全面に押し出してきて、社員の善悪や優劣を決めつけてしまう企業だった。
特に明文化された理念や信条を拝見したわけではないが、今は亡きレジェンド創業者の言葉が社内に語り継がれていた。
悲劇は当時の日本法人社長がそのカルチャーを誤った解釈をして、独裁国家のような言論や思想の統制をしてしまったことにあった。
社長が少しでも気にくわない人物は、会社のカルチャーにそぐわないと粛清のようなことを平気でやっていた。
会社のカルチャーはトップによって悪用された見本のような会社だった。
そして、社長を支えた社員は、皆貧しい精神の持ち主だった。
彼ら彼女らはたいしたキャリアやスキルを持ち合わせていなかったので、自分たちが生き抜く為の拠り所として、企業カルチャーを信じるしかなかった。
優秀な人材は、当然早々に見切りをつけて去っていった。
「アナタハ 会社ノカルチャー シンジマスカ?」
そう問われたら、よくよく言葉の主を確かめて、場合によっては隅のゴミ箱に投げ入れてしまっていい。
たかだか1社の企業カルチャーを守ったところで、飯は食ってはいけない。
一人一人がフィットする会社はいくらでもある。