40代、50代のサラリーマンが、ひたすら自分の人生に集中することはとても大切な作業だ。
なぜならば、「もう歳だし、肩書きや役職など興味ない。あとは自分の好きにやらせてもらう」と対外的は言っておきながら、本当に自分の人生に集中している人は少ないと筆者は思っている。
例えば、そうは言いつつもLinkedInに敏感な人もいるのでとても面白い。
なんだかんだ、余計なものを捨て去れない悲哀みたいなものがそこにはある。
バカボンのパパみたいに「これでいいのだ!」と、言い切れない何かがそこにある。
その何かが何であるかといえば、「私の人生こんなものだ」という諦めというか潔さよりも、「私の人生こんなはずではなかったのに」といった焦燥感というか被害者意識みたいなものが、多少でも勝っているからだろうか。
そのような人たちは、隣近所の役員に毎朝ハイヤーがお出迎えするのを見るたびに、心が“ざらざら”するのだろう。
ハイヤー役員とはいかなくても、例えば、「俺の当初の計画では今頃は個室の一つでも与えられていたはずなのに。それがオープン・スペースに座って、向いのアホ面した部下を何で眺めていなければいけないのだ」とお嘆きのミドルは、それなりに存在しそうだと想像できる。
そのような“ざらざら”感はミドルに転職という能動的な行動に向かわせるものだろうか?
「チクショー!」と吐き出すのが精いっぱいなのではないか。
ちなみに筆者は、オフィスで隣の人に聞こえるぐらいの音量で、「チクショー!」と発した人物で、成功している人に出会ったことがない。
また、余談ではあるが、ビジネスの場面で女性を「あのアマ」と陰口を叩く男性社員にも成功している人を知らない。
さてと、それでは心の“ざらざら”を取り除くべく、現職を追われているわけでもなく、しがみつこうと思えばしがみつけるのに、わざわざ40代後半や50代で転職をする稀有な人物はいるのだろうか。
心に贅肉が付き過ぎた人物だったら、自ら望んで転職という階段を駆け上がることはないだろうけれども。
(つづく)