人生変わらない前提の人生それが今の終身雇用なのだが、驚くべきことに多くの日本人がいまだに支持をしている。
昭和の時代なら、日本経済は右肩上がりだったので、自ら進んで一つの企業に己の身を委ねるのも悪いことではなかった。
日本経済の具合が悪くなっても日本人がすがるのがやはり終身雇用で、平成になるとさま変わりしたのは、終身雇用で右肩上がりを望むのではなく、現状維持を願ってのことだった。
そして国や企業に頼った結果は、右肩下がりからの早期退職もありだった。
日本人の給料が上がらないのは、転職しないからという単純な理由からだ。
この令和の世に終身雇用を支持する人が多く存在しているのは、もはや学校や親の教育が悪いとしか思えない。
座して死を待つ度胸があるのなら、転職ぐらいの小さな覚悟をして、給料を上げたほうが絶対いい。
そもそも転職は挑戦ではない。
自分がやるべき仕事をやり、その対価を頂くことが挑戦だ。
なので、転職をしないという決断もあるのだ。
「転職エージェントに説得されました」みたいなことを転職先の職場で口にする人で、仕事ができる人に出会ったことがないから、建前でも転職を自分で決めたと言い切りたいものだ。
転職先でうまく機能せず、「なんで私を採用したのですか?」と上司に尋ねる人には退場してもらったほうがいい。
そうしないと、「雇った側にも責任あるよね」と、一緒に働いてもつまらない他責の不平不満分子を身近に置くことになってしまう。
転職して調子が上がらなかったら、自分で自分をクビにして、次の転職先に向かえばいい。
自分自身を振り返ってみても、失敗した転職はあったが、その後になって、その失敗した転職と転職先の企業から学ぶものは大いにあった。
転職という自由からの代償も自分の財産になるものだ。
他人の職務経歴書を見て、社数が少ない人には「まだ綺麗」、社数が多い人の職歴書には「汚れている」と偉そうに評する御仁はいるけれども、まったくの大きなお世話なのだ。
転職という自由を行使した者に対して、職歴書が「汚れている」呼ばわりする人間はたいへん失礼だ。
私個人としては、職歴書が「にぎやか」と評されると、なんとなく嬉しい。
職務経歴書には、その人の「自由とその代償」が盛り込まれているのだ。
そういえば、自由とその代償の連続をどこかで見たことがあると思ったら、人気YouTuberてんちむさん動画に盛りだくさんだった。
「なんなん」と思うキャリアの足跡が職務経歴書にあれば、それはそれで面白い仕事人生なのだ。